感謝
- rin nagira
- 4月23日
- 読了時間: 2分
先日、長い断食を予定している友達と連絡がありました。
自分は以前、水だけの断食を14日間経験させてもらった事があり、その時の事を思い出させて頂きました。
1年目は3日以上は出来なくて、2年目から菜食にしてようやく2年目で14日間できました。
何を目的にやったのか?
もしかしたら、何か覚醒?みたいな領域にいけるんじゃないか?と思いながら挑戦していました。
何か偉業を成し遂げるみたいな
今思えばそれが、エゴだったような
氣がつけば結局、何もみえる事はなかったけど
やはり、あれですよね。感謝をかんじるのみでした。
究極的には真理って数少なく、だから真理はひとつとか。
だとしても、いろいろと模索してしまう。
単純でありレベルによっての感じ方の違いなのかな
いま自分の感謝のレベルはどのくらい?
あの極貧生活の時もやっぱり感謝が沸き起こってきて、とても良かった。
このお友達との久しぶりの連絡は
日々の起こす現象への感謝の度合い、あたたかい温度みたいな感触を、もっと敏感にかんじたいと、あらためて思い出させてくださいました。
ありがとう

いま、水が溜まらない荒れた田んぼを開拓してて、どうしても土を撹拌しないと抜けてる水がとまらない。
不耕起栽培は、まだ出来ない。ということで
そうすると、虫たちの棲家を壊してしまい、いちいち手が止まり、考え込んで手が止まってしまう。
とりあえず、見つけたら、いったん避難させての作業再開。
機械を使うと、みつけられない。
手作業なら少しでも見つけられる。
これは確実に良い事はしてないなー。
はぁーとなる。
今年も、そこらへんに蒔いて少しだけ陸稲も挑戦
なぎら りん
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